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2007/11/08 (Thu) 母のこと、報告したいと思います
初めまして、このブログの作成者の娘です。
今、家のPCから更新しています。


今日、私がこのブログを書いているのは、母のことを報告しなければ、と思ったからです。




母は、最後にブログを更新した一ヵ月とちょっと後、突然仕事先で倒れました。
胆石がたまっていたとのこと。

しかし、それだけではなく…





胆管に、腫瘍が見つかったのです。



母は緊急入院し、一週間後に再検査し、手術をする予定でした。



ですが、再検査をした結果、肺と肝臓、そしてリンパに、転移していました…
母の体力もなかったため、急遽、手術ではなく抗癌剤と放射線治療に…


治療は、とても辛そうでした。


毎日、お見舞いに行っていましたが、最初はまだ元気でしたが、抗癌剤・放射線治療が始まると、体力がどんどんなくなっていくのがわかりました。

同じ病室の女性と、仲良く話したりしていて、一見元気そうに見えましたが、食べた物を吐いたりと、辛そうでした…



父は、とても母に優しくしていました。それは母が病気だったからかも知れません。
それでも、母は嬉しそうにしていました。

私は、去年に父の不倫のことなどは聞いて、このブログの存在も(PCの使い方は私が教えました)、母の辛い気持ちも知っていたので、仕事帰りに毎日お見舞いに来て、母にやさしく接する父を少し見直していました。



不謹慎ですが、病気がきっかけで、離れていた家族の心が、少しだけまとまってきたのかな、と思ったりもしました。



週末には、病院に外泊許可を得て、家に帰り、祖母や犬に会わせたり、少しですが散歩をさせたりして、家族で過ごしていました。

母は、良くなりたいと、辛い治療に耐えていました。










でも、ある時医師に、もって半年から一年、と宣告されました。

胆管癌は、生存率が極めて低いらしいです。





治療のかいなく、母の病状は徐々に悪化していきました。

食べても味がしないと言って食べることが出来ず、体力がなくなり、放射線治療の中止を余儀なくされ、母も弱気になっていきました。









年末年始は、外泊許可をとって家で過ごせましたが、年が明ける直前に、ベッドで横たわりながら母がポツリと言った言葉

「来年、年越せるかな…」


私は、何も言えませんでした。




















年が明けてから、しばらくは病院で治療を続けていましたが、二月のある日、病院から、自宅介護の話が出ました。



皆で話し合った結果、母の家に帰りたいと言う意見もあって、三月からは自宅介護をすることになりました。


訪問看護の病院を紹介してもらい、祖母のヘルパーさんにも協力してもらいながら、私が介護をすることになりました。




紹介された病院の看護士に、点滴の変え方などを教えてもらい、介護生活が始まりました。




正直、かなり辛い時もありましたが、毎日母の隣で、たくさん話をしました。







四月になり、母と兄の新たなある問題が発覚し、それに激怒した父が、母と離婚する等と言い出して騒ぎになりました。


父の気持ちもわからなくもないが、末期の病人である母を、余計追い詰めるようなことを何故…と思いました。


せっかくまとまりかけてたのに…と。




それまで父と母は一緒に寝ていたのですが、父はそれまでもやめてしまい、私が母と寝ることになりました。











母は
「死にたい」
「死にたくない」
「まだあなたに教えてないことが沢山ある」
「こんな母親でごめんね…」
「でもパパが大好きなんだ、愛してるんだ」

と、よく言っていました…









四月の下旬から、母は衰弱し殆ど動けなくなっていました。

薬で半日は眠り

トイレに行くことも困難になり(私では支えきれなかったので)、オムツをし、尿は、直接管を通して袋に入れるようにしていました。

痛み止めの座薬も、一人では入れることが出来ず、私が入れていました。


五月に入り、先生に、
「尿が出なくなったら、もう、いよいよです。」
と、言われました…。




五月七日、それまで、薬で長く眠ることはあっても、私が近くに来たり、起こしたら起きる母が、何をしても目を覚ましません。

ただ、寝息が部屋に響いていました。


明らかにおかしいと感じ、すぐに先生を呼びました。


肝臓が悪くなったための、昏睡だと言われました。







翌、五月八日。

ヘルパーさんと母を見ているとき、突然、母が目を覚ましうめき声を上げました。
うつろな目でこちらを見、何かを言いたげにしたので水が欲しいのか聞いたらうなずいたので、水をゆっくり飲ませました。

九日まで、そんな頻繁にではありませんが、目を覚ましたり、眠ったりの繰り返しでした。










そして、十日。

その日は、たまたま父が私と交代で母の様子を見る日だったのですが


午後一時、息が止まったとの連絡をうけ大急ぎで家に帰ったのですが、家に着く少し前、母は眠るように息を引き取りました。


眠りながらだったため、とても安らかな顔でした。


生前、母は死ぬ時は眠るように死にたいと言っていたのですが、まさに言っていた通りになりました。

最期だけ、母の想いが叶ったのかなとも思いました。














…半年以上も遅れての報告。申し訳ありません。

やっと大分気持ちの整理がついたので、こうして母のブログに書くことで、コメントやリンクをしてくれた方々に報告をすることにしました。

長文でまとまりがなく、読みにくい文章ですが、読んでくれたら幸いです


父は、母の死から一ヶ月で出会い系を利用し、二ヶ月で、母を苦しめた不倫相手と連絡を取っています。
彼女の誕生日には100本の薔薇の花束を贈るそうです。













あの時の、優しい態度は…
お葬式の時の涙は…













全部、嘘だったのでしょうか…
















父のことが、理解できません。







今は、彼を軽蔑しています。

最期まで父を愛した母が、可哀想でなりません。























天国で、母が泣いていないことを祈るばかりです…



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プロフィール

片羽根・・・

Author:片羽根・・・
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疑いもしなかった愛する夫の不倫。片羽根をもがれ、心が砕け散ってしまった・・・。その欠片を、一つづつ探し集め、愛という接着剤で繋ぎ合わせることが出来るだろうか。

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