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2006/06/04 (Sun) 夫のこと 私のこと そして結婚
娘が小学5年生の夏、夫の転勤が決まった。
学期途中でもあり、娘がお友達と一緒に
この学校を卒業したいと望んだので、
私たち家族は後から彼の元へ行くことにした。
それまでは、土日にはほぼ毎週帰って来てくれる。

「ほぼ」というのは、転勤先のお隣の県は彼の故郷。
そこには彼の母親が一人で暮らしていた。
その近くには、彼の一番上の姉の家庭もあった。
お隣の県とは言え、車を飛ばせば1時間半くらいで着く。
土日に泊りがけで母の様子を見に行くのだ。
夫は四人きょうだいの三番目。
姉二人、妹一人の女性ばかりの家族の中の、たった一人の男性。
彼が小学2年生のとき、父親が亡くなった。
そのあとは母の手一つで子供四人を育て上げたのだ。
彼曰く、貧しさの中で育ち、生きてきた家族。
だからだろうか、女達の結束はとても強い。
女ゆえだろうか。
あとになって私は、この結束に苦しめられることになった。

彼との結婚を決めた時、私の身内も友人達も大反対だった。
彼の故郷の土地柄というか気質(女性がとても強い)、
家族構成と彼の若さ、
そして私には、まだ小さな一人息子がいた。
実家は商売をしていたため財産はあり、生活には困らない。
私が結婚したいと言った時、周りの反応は、
「今更なぜまた結婚を・・・」だった。

私は息子が生まれて半年目に離婚したのだ。24才だった。
相手の不倫によって。しかも数人の女性がいた。
そのうちの一人は結婚前から続いていた。
苦しみぬいた挙句、私は離婚を選んだ。
それから8年間、私は一人だった。
男性不信の塊りで、どんなに素敵な人の誘いにも応じなかった。
二度と結婚もしないつもりだった。
雑貨と喫茶のお店もやっていたし、
親の傍で、息子と二人で十分幸せだと思っていた。

そんな私だったから、夫と知り合ったあとも
夫を一人の男性として意識するようになるまでに
少し時間がかかった。
ましてや彼は年下だったし。
息子が彼にとても懐き、「ママたち結婚して」と無邪気に言うまでは。

それからだった。
彼は私の中で一人の男性として存在するようになり
好感が愛へと変化していった。
夫も同じだったと思う。
初めて彼と結ばれたのは、何度かデートを重ねた後、
お酒を飲みに行ったその夜。
彼に強い力でリードされた格好だったが
私も望んでいなかったと言えば、嘘になるだろう。

だから、一番辛かったのは、私たちの結婚を望んだ息子が、
いざ決まると、「ママ、結婚しないで。ママを取られちゃう」と
泣き叫んで反対したこと・・・。
でも夫も私もお互いを求め、別れる事は考えられなかった。
今は反対していても、
息子にも、男として育つ過程に、
父親という存在が必要になる時期が必ず来る
そんな思いも私にはあったし、
夫も、「自分も父親がいなかったから、
彼の気持ちを分かってやれると思っている」と力強く言ってくれた。

幾度かの危機を乗り越え、私たちは結婚した。
間違いなく、私たちは心から愛し合っていた。

一度目の結婚で、不倫により、私がどれほど傷つき打ちのめされ
苦しんだ挙句に離婚したかも、全て知っている。

それなのになぜ、どうしてあなたが不倫なんてしたの?
何があっても、どんなことがあっても不倫は最低の、本当の裏切り。

あなたは、私のしたことが原因だと言う。
私は自分のしたことが間違っていないとは思っていない。
でも、その前に、あなたが私にしたことは・・・?

8年間のセックスレスは地獄だった。
あなたに分かる?
何度かあなたに理由を聞いたのに、
あなたは私と向き合ってはくれなかった。
一人で苦しみ、寂しくて寂しくて
どれほどの孤独の中にいたか。
一人の孤独も辛いけど、
二人でいるのに孤独なのは、凍りつくような辛さだったよ。

何もかも、ここから始まった気がする・・・。


2006/09/03 (Sun) コメントをくださった皆様へ
コメントをくださった皆様、本当にありがとうございました。
PCは初心者という事もあり、やり方も分からないで
お一人お一人にお返事も出来ないまま
鬱が酷くなり、長い間更新出来ませんでした。

今日まで、どれだけ皆様のコメントに励まされたことか。
繰り返し繰り返し、読ませて頂いていました。
私にとって、『救い』でした。

でも、鬱は少しずつ酷くなり、ドクターから入院を勧められました。
お薬の量がどんどん増え、
外来で処方出来るギリギリの量だとドクターに言われました。

夫は今、凄く優しく接してくれます。
私の病気への責任感でしょうか。
私への愛情ではないと思うのです。

あれだけ何度も何度も
「あなたへの気持ちはなくなったんだよ」
「彼女を好きなんだ」
「あなたへの気持ちは残っていないんだ」 と言った夫。

その度に私の心は少しずつ壊れていきました。

私のことを名前では呼ばず、『あなた』と言う夫。
彼女のことは名前を呼び捨てにするくせに・・・。

些細なことが私の心を抉るのです。

「あなたの気持ちは重いんだよ。いらない」

そう言われた時の私の気持ち・・・言葉に出来ない。
私の夫なのに、まるで見知らぬ人みたいだった・・・。

私への気持ちがなければ、何をしてもいいのだと言わんばかり。
「自分は間違っていない。これは、不倫ではなく、恋愛。純愛。」
そう考えてるとしか思えない夫の言動の全てが私を苦しめた・・・。

彼女とは別れたそうだ。
別れを切り出したのは彼女。
夫は承諾したものの、忘れられずずっと苦しんでいた。
いや、今も・・・かもしれない。

そんなに簡単に忘れられないと思う。
夫の性格からしても、忘れてはいないはず。
彼女への気持ちを封印しただけ。

夫の心の奥底で、
彼女への想いは今も、青い 静かな炎として燃えている。

きっと夫はこの先、私をその腕に抱くことはないはず。
私への気持ちがあるとすれば・・・同情?
夫は二人の女を同時に愛せる男ではない。
それは私が一番良く知っている。
それでも夫を深く愛している。

彼女には夫への気持ちは残っていないと思う。
女はある意味残酷だ。
別れを切り出すときは、気持ちが冷めていることが多い。
しかしそれでも、夫は彼女の幸せを祈りながら
彼女への愛を封印したまま、私の傍にいるのだろう。
男はある意味、純情だから。
彼女の気持ちとは関係なく、彼女を愛しているのだ。
心の深いところで。

なぜ愛してもいないのに、私に優しくするの?
私が彼女を殺す!と言ったから。
夫は、私の今の精神状態なら、やりかねないと感じたのだと思う。
だから彼女を守るために、忘れたふり。
それが今の私への優しさ。

疲れました。
とてもとても。
このままだと本当に入院になりかねない。
ドクターは、マイナスの気持ちにならないように
そのためには休息が必要だと言います。

でも入院はしたくない。
何とか通院で治したいのです。

だから暫くお休みします。

どうか私を見守っていてください。
鬱を治して、必ず戻ってきますから。
これまでの事を整理しに、ここに戻ってこれる日まで。
どうか、見守っていてください。

トレドミン・アモキサンカプセル・デゾラム・パキシル・リスミー
これらの一粒一粒の量がどんどん増えていったのです。

だから、暫くお休みします。

コメントをくださった皆様、ありがとうございました。









2007/11/08 (Thu) 母のこと、報告したいと思います
初めまして、このブログの作成者の娘です。
今、家のPCから更新しています。


今日、私がこのブログを書いているのは、母のことを報告しなければ、と思ったからです。




母は、最後にブログを更新した一ヵ月とちょっと後、突然仕事先で倒れました。
胆石がたまっていたとのこと。

しかし、それだけではなく…





胆管に、腫瘍が見つかったのです。



母は緊急入院し、一週間後に再検査し、手術をする予定でした。



ですが、再検査をした結果、肺と肝臓、そしてリンパに、転移していました…
母の体力もなかったため、急遽、手術ではなく抗癌剤と放射線治療に…


治療は、とても辛そうでした。


毎日、お見舞いに行っていましたが、最初はまだ元気でしたが、抗癌剤・放射線治療が始まると、体力がどんどんなくなっていくのがわかりました。

同じ病室の女性と、仲良く話したりしていて、一見元気そうに見えましたが、食べた物を吐いたりと、辛そうでした…



父は、とても母に優しくしていました。それは母が病気だったからかも知れません。
それでも、母は嬉しそうにしていました。

私は、去年に父の不倫のことなどは聞いて、このブログの存在も(PCの使い方は私が教えました)、母の辛い気持ちも知っていたので、仕事帰りに毎日お見舞いに来て、母にやさしく接する父を少し見直していました。



不謹慎ですが、病気がきっかけで、離れていた家族の心が、少しだけまとまってきたのかな、と思ったりもしました。



週末には、病院に外泊許可を得て、家に帰り、祖母や犬に会わせたり、少しですが散歩をさせたりして、家族で過ごしていました。

母は、良くなりたいと、辛い治療に耐えていました。










でも、ある時医師に、もって半年から一年、と宣告されました。

胆管癌は、生存率が極めて低いらしいです。





治療のかいなく、母の病状は徐々に悪化していきました。

食べても味がしないと言って食べることが出来ず、体力がなくなり、放射線治療の中止を余儀なくされ、母も弱気になっていきました。









年末年始は、外泊許可をとって家で過ごせましたが、年が明ける直前に、ベッドで横たわりながら母がポツリと言った言葉

「来年、年越せるかな…」


私は、何も言えませんでした。




















年が明けてから、しばらくは病院で治療を続けていましたが、二月のある日、病院から、自宅介護の話が出ました。



皆で話し合った結果、母の家に帰りたいと言う意見もあって、三月からは自宅介護をすることになりました。


訪問看護の病院を紹介してもらい、祖母のヘルパーさんにも協力してもらいながら、私が介護をすることになりました。




紹介された病院の看護士に、点滴の変え方などを教えてもらい、介護生活が始まりました。




正直、かなり辛い時もありましたが、毎日母の隣で、たくさん話をしました。







四月になり、母と兄の新たなある問題が発覚し、それに激怒した父が、母と離婚する等と言い出して騒ぎになりました。


父の気持ちもわからなくもないが、末期の病人である母を、余計追い詰めるようなことを何故…と思いました。


せっかくまとまりかけてたのに…と。




それまで父と母は一緒に寝ていたのですが、父はそれまでもやめてしまい、私が母と寝ることになりました。











母は
「死にたい」
「死にたくない」
「まだあなたに教えてないことが沢山ある」
「こんな母親でごめんね…」
「でもパパが大好きなんだ、愛してるんだ」

と、よく言っていました…









四月の下旬から、母は衰弱し殆ど動けなくなっていました。

薬で半日は眠り

トイレに行くことも困難になり(私では支えきれなかったので)、オムツをし、尿は、直接管を通して袋に入れるようにしていました。

痛み止めの座薬も、一人では入れることが出来ず、私が入れていました。


五月に入り、先生に、
「尿が出なくなったら、もう、いよいよです。」
と、言われました…。




五月七日、それまで、薬で長く眠ることはあっても、私が近くに来たり、起こしたら起きる母が、何をしても目を覚ましません。

ただ、寝息が部屋に響いていました。


明らかにおかしいと感じ、すぐに先生を呼びました。


肝臓が悪くなったための、昏睡だと言われました。







翌、五月八日。

ヘルパーさんと母を見ているとき、突然、母が目を覚ましうめき声を上げました。
うつろな目でこちらを見、何かを言いたげにしたので水が欲しいのか聞いたらうなずいたので、水をゆっくり飲ませました。

九日まで、そんな頻繁にではありませんが、目を覚ましたり、眠ったりの繰り返しでした。










そして、十日。

その日は、たまたま父が私と交代で母の様子を見る日だったのですが


午後一時、息が止まったとの連絡をうけ大急ぎで家に帰ったのですが、家に着く少し前、母は眠るように息を引き取りました。


眠りながらだったため、とても安らかな顔でした。


生前、母は死ぬ時は眠るように死にたいと言っていたのですが、まさに言っていた通りになりました。

最期だけ、母の想いが叶ったのかなとも思いました。














…半年以上も遅れての報告。申し訳ありません。

やっと大分気持ちの整理がついたので、こうして母のブログに書くことで、コメントやリンクをしてくれた方々に報告をすることにしました。

長文でまとまりがなく、読みにくい文章ですが、読んでくれたら幸いです


父は、母の死から一ヶ月で出会い系を利用し、二ヶ月で、母を苦しめた不倫相手と連絡を取っています。
彼女の誕生日には100本の薔薇の花束を贈るそうです。













あの時の、優しい態度は…
お葬式の時の涙は…













全部、嘘だったのでしょうか…
















父のことが、理解できません。







今は、彼を軽蔑しています。

最期まで父を愛した母が、可哀想でなりません。























天国で、母が泣いていないことを祈るばかりです…




プロフィール

片羽根・・・

Author:片羽根・・・
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疑いもしなかった愛する夫の不倫。片羽根をもがれ、心が砕け散ってしまった・・・。その欠片を、一つづつ探し集め、愛という接着剤で繋ぎ合わせることが出来るだろうか。

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